薬王堂気まぐれ通信使№807  2020-1-5
Yakuoudo Capricious Communications Satellite

2020年、あけましておめでとうございます。
正月休みも終わりということで植物が見たくなって車を走らせることにしました。
行先は呉から倉橋島方面に行ってみることにしました。


まずは呉に到着!
潜水艦の見える小高い丘に登ってみました。


この周辺はかつて旧海軍呉工廠があった場所です。
石段の手前には「工廠神社」と書かれた石碑が置かれています。
Ⅼ字状の急な階段を登りきったところにトーチカの跡があります。
トーチカとは戦時に敵の航空機襲来を監視した場所!鉄筋で強固に造られた遺物です。
頂上部には機銃が備え付けられていたらしい銃痤が残っています。
入り口は分厚いコンクリで固められ中に入ることは出来ないようになっています。
周辺地下は工廠の兵器工場があったと言われています。
所々に空気孔と思われる建造物が突き出ています。
75年前は大変だったことでしょう!
傍の藪にニッケイらしき樹木があります。
ヤブニッケイにしては葉先がとがり大型です。
葉を揉んで匂うとニッケイ独特の香りがしました。
温暖な瀬戸内海の神社社叢ではニッケイが野生化していることがあります。
ニッケイ=(Cinnamomum sieboldii Meisn.)
200年前、シーボルト一行が瀬戸内航路で見つけて命名したものでしょう!
工廠跡を過ぎ音戸渡船をのぞいて新しく建造された音戸大橋を横に見ながら旧音戸大橋をわたります。
波多見海岸を過ぎて交通が困難な長谷地区に入ります。
ここはきれいな場所ですね~!


長谷の浜


防波堤の無い海岸線は沖の方まで砂浜が続いていました。
湾に浮かぶ島には祠があるのでしょう、鳥居が見えます。
昔、この地区の街路樹に着生したオオバヤドリギがありました。
宿主の一つはソメイヨシノ、もう一つは神社にある杉の樹でした。
ソメイヨシノにあったオオバヤドリギはすっかり枯れていました
宿主のソメイヨシノも葉が一つもない状態です。
共倒れとはまさにこのこと、オオバヤドリギが大きくなって栄養をとり過ぎたのか?ずいぶんと繁茂した形跡(花痕)が残っていました。
長谷の八幡神社に行ってみます。
ここにも杉に寄生したオオバヤドリギがあったことを記憶しています。
神社の入り口にある鳥居には「河内社」とありました。
ここにも杉らしい大木はありませんでした。
タイミンタチバナネジキヒメユズリハツブラジイヒトツバシャシャンボ・・・などなど・・


瀬戸内の島々が美しく点在しています。


ネギ・ダイコン・トマト・ミカンレモン・その他の柑橘類が栽培されていました。
サネカズライタドリマルバウツギウバメガシマサキネズミモチ・・などなど、
鯛の内から峠を越えて尾立に出てきます。
この地区では昔、三味線を弾く女性が多かったとか・・
地元の野菜を売る女の人と話し込みます。
私:「室尾に口ひげ生やしたお医者さんがおるじゃろう?中学の同級生なんよ!」
婆さん:「おるよ、ようこの前の道を行ったり来たりしとるよ。ええ車に乗って・・」
有名人になっているようです。
石地ミカンと大根、ニンジン・ハクサイを買いました。


倉橋島 西海岸


倉橋町に入ります。
ここのマツにはマツグミ着生(寄生)していました。
またアラカシの樹にオオバヤドリギが着生(寄生)していました。
やっと一株、オオバヤドリギを見つけることが出来ました。
他の樹木に根を下ろし宿主から栄養分を取る変わった植物です。
宿主にとっていいことがあるのでしょうかね?


実の比較


日が暮れてきました
今日はいい一日でしたね。

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